Vol.2 六十里越街道 (山形)
出羽三山の麓を鶴岡から山形へ向かう、六十里越街道を辿る旅。
旅の出発点・秋田鶴岡から松根、田麦俣から参籠所を経て、いざ湯殿山神社本宮へ。
美しい棚田を眺め、ブナ林を抜け、築山、湯殿山を拝む巡礼の旅に出かけます。
その昔、庄内平野から山形県内陸部をつなぐ
唯一の街道として栄えた六十里越街道。
その開通は1200年前とも伝えられており、
豪雪地帯の山岳道ながら、物資をやりとりする生活の道として、
また、霊山・湯殿山を目指す信仰の道として東北随一の賑わいを誇った。
街道沿いには今も石碑や一里塚、
湯殿山を開いた弘法大師(空海)ゆかりの史跡が残り、
天然のブナ林が広がるなど、歴史と自然、
信仰が息づく出羽三山の魅力を余すことなく伝えている。
近世、新道の開通に伴って表舞台から姿を消したが、
地元有志の手によりロングトレイルとして整備・保全されるようになった。
日本海に面し、鳥海山や月山・朝日山系に囲まれた庄内平野。
豪雪地帯に遅い春の訪れを告げるのが、里山の恵み・山菜だ。
江戸時代、春の到来とともにお山詣りの参詣者が押し寄せたが、
雪が解けたばかりのこの界隈では旅人をもてなす食材を確保できない。
そうした事情から旅人をもてなすための独自の山菜文化が発達していった。
アイコ、赤ミズ、月山タケノコ……、
取り立てをさっと湯がいて、シンプルにおひたしでいただきたい。
山伏とはもともと、「山に伏し、野に臥して修行する」ことを指す。
奈良の大峯山、鳥取の大山など霊山と呼ばれる山々の中に身を置き、
そこに息づく日本古来の思想や信仰を体現する存在だ。
そうした霊山の一つが羽黒山であり、593年の開山以来、
「修験の山」として広く信仰を集める出羽三山では、
死と再生を意味する厳しい行が羽黒派古修験道の山伏修行として
現在も受け継がれている。